夜間高校

日暮れの渋滞の中、夜間の高校へ行った。

あまり人に会いたくなかったので、ドキドキしながら忘れものを取りに。玄関にも校舎にも煌々と明かりが付いている。玄関で寒そうに肩を落とす大人しそうな少年と、優しく支えるようなしぐさの若い先生に出くわした。優しさがその全身から感じ取れた。何か問題があったのだろう。

人気のない廊下を走るように進んでいくとふと給食の匂いが漂う。ああ夜間の学校はなんと独特なのだろう。いつもなら明るい生徒の声が響いているのだが、今は授業なのか、しんとしている。

#夜間高校といえば、一般的にどんなイメージがあるのだろう。暗い雰囲気をイメージする人も多いかも知れない。しかしそれは少し違う。近年は外国籍の子が多く、彼らのほとんどは陽気で明るい。言葉の問題、お金の問題など重苦しい現実があるはずであるが、若さのバイタリティの方が優っている。日本人の生徒の方が抱える問題は深刻な場合が多い。家庭問題が多く起因している。外国籍の家庭は家族愛にあふれる場合が多いのである。


様々なバックグラウンドを持つ生徒たちを受け止め、あくまでも優しく包みこむ、そんな先生が多い気がする。夜間高校の夜の雰囲気が好きである。そこだけほのぼのと温かい。



予告殺人

少し前になるが沢村一樹主演、大地真央などの豪華な顔ぶれの「予告殺人」をTVで見た。映像はきれいだが、沢村一樹のわざとらしい大仰な振舞いに感情移入ができなかった。私にとっては残念な作品。口直しではないが、持っていたBBCテレビドラマのジョーン・ヒクソン主演のミス・マープルものを引っ張り出して見直した。その二つには大きな大きな差があった。マープルの何気ないが気の利いた台詞、実に理知的なまなざし、最後には涙腺がゆるんだ。調べてみればマープルシリーズではベストワンにもあげられる作品だ。学生時代にアガサの本はほとんど読破し、DVDもほとんど持っている。2年もすればストーリーの大半は忘れてしまう年頃。何度も繰り返し見てもいつも新鮮であきない。日本のリメイク版も全部見ているが、やはりどれもがっかりの作品に思う。

孫が帰った後に

娘が孫を連れて一週間ばかり滞在した。「孫は来て嬉し、帰って嬉し」の言葉通り、ほっとしたところである。平均寿命も順調に伸びている昨今、この子供の前には100年の長い道が横たわっているのでは、と思うとうらやましいというよりご苦労さんだなあと思ってしまう。

この一週間は私もギアが入りあれこれ食卓に並べたり、娘と買い物に出かけたり、ハイテンションで過ごした。また平穏な暮らしが戻ってきて、寂しさもあるが、それはまた嬉しくもある。自分の暮らしを充実させるのだ。どのようにやるのかが課題だった。

暮らしの充実。

友達と食事に行くとか、旅行するとか。そういうことに意義を見出そうとしている知り合いも多くいる。でも、私はちょっと違うのではと思う。そういうことでは満たされないものがあるような気がする。毎日を充実して過ごすのだ。でもどうやって?

朝一で近くのスーパーに買い物に行った。肉、ハム、ソーセージ、ターフなどなど6,852円也。これでなんとか週末まで持たせたい。週一度の買い物で一週間持たせるのが目標だが達成したことはない。

しかしそろそろ本気だ。今月から年金以外に収入はない。

時は春、いい具合に桜もあちこちで華やか。改元もあと1ヶ月ということだ。気分が新しくなって何か起こりそうなウキウキ感がある。テレビや新聞の騒ぎすぎのニュースに晒されているせいだろう。実際には何も起こりはしない。慎ましい日々の暮らしがあるだけ‥‥


今週のお題「桜」

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ウオーキングに出かけたら、遭遇しました。山桜。

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ウオーキングに出かけたら、遭遇しました。山桜。

いつも一緒に歩いている方とこの桜の下で一時間も話し込んだ。息子の結婚の話だ。

38歳になる一人息子が会わせたい女性がいると母に報告したときはすでに相手方の両親には結婚の申し込みをした後だった。順番が違うでしょ、という話だ。よくよく聞いてみれば、その一人息子は先方の両親の世話をしなければならない状況があり、嫁になる女性も「何ゆえにこの女性」としか思えないと言う。ネガティブポイントは分からない。超不細工なのか、無愛想極まりないのか、そこは深堀をしなかったが、とにかく親の意にそまない結婚に至りそうだということで、怒と失望が渦巻いていた。

私もまったく同じような体験があった。決して他人事ではない。私ども夫婦も結婚を巡って息子との間には大きな亀裂が入ったのだ。まったく持って息子の考えていることが分からない。はっきりしているのは息子は私ども親のことは一顧だにしていないということだ。その揉め事からはや、3年。当初は怒りと失望(自分の子育てと息子に対するもの)に渦巻いていたが、夫は言う。「自分たちで幸せにやっていけるならそれで十分。」ここまで気持ちが持ち直ってきたということは、亀裂は決定的なものではなかったことと信じたい。

 

「家」を継ぐという概念は薄くなる一方だ。家の職業を継げる人を除いて、継ぐべき「家」などないのだ。お寺の問題、お墓の管理が付いてまわるから、もはや無用の長物。合理的処理でよいのだが、親の思いだけは受け取ってほしいものだ。

3月28日(木)

退職して3年。以来この3月まで細々続けてきたパートの仕事もやめる。

3年前、開放されて本当に、本当にうれしかった。平日、キラキラ太陽がまぶしい

中を外出できる喜び、何でもできるという期待感にあふれていた。

が、しかし現実は少し違った。

この3年間、心の中に代わる代わる訪れたのは「後悔」と「不安」「倦怠感」

平成の時代も終わるのだ。新しい時代を迎えるんだから、自分も新しい気持ちにな

って残りの人生を大事にしようとブログを開設。どんな風に展開するか分からない

けどとにかくスタートだ!